3600-1 (2001年に書いたもの)

estis2011/06/21 (火) 01:55 に投稿

 もし君が映画を見ようと思ったら、いったいどうやってそれを選んでいるんだろう。君は映画なら、とにかく何でも見てやろうと思っている非常な映画ファンかもしれないし、何を見るかなんかはどうでもよくて、その人が誘ってくれさえすればそれでいい、映画にたいして興味もない君かもしれない。
 どちらにも囁きたいことはあるけれど、ここで告げたい相手はどちらでもないあなた。あなたはいろいろなところで、映画についての情報を目にする。例えば、雑誌の広告、テレビのコマーシャル。でも、映画は映画館でできるだけ見たいと思っているあなたにとって、その映画館で見る予告編が、なによりもあなたの心を捉える。
 少し思い出してみよう。今までで最高の予告編は、たしか「ザ・ソルジャー」とかいう映画の予告編。タイトルの記憶はあやふやだけれど、予告編の内容は覚えている。本編のクライマックスシーンをもれなく見せてくれる予告編で、そんなこととは思わないあなたは、予告編で見たおもしろげなシーンとシーンの間にどれだけ凄いシーンが隠されているのか、期待一杯で映画館に向かったのに、そこには予告編と同じものしかなかった。こんなんじゃ、本編を見る必要がない。
 例えば、「マトリックス」。こいつも予告編では、今までにあまりお目にかかったことのない映像をいっぱい見せてくれて、とても期待を膨らませてくれた。でも、映画館で本編を見てみると、それほどおもしろくは思えなかった。予告編を見て頭の中にできあがったあなた自身の『マトリックス』を「マトリックス」は越えることができなかったから。どれだけ凄い映像も、フィルムに定着された時点で成長を止め、人の意識の中、育ち続ける妄想を越えられないのか。
 あるいは「ガメラ3」。予告編の空を埋め尽くすギャオスの集団に、あなたはこのギャオス達が都市を襲うシーンを妄想してしまう。けれど、そんなシーンはこの映画の中にはない。飛び交うギャオスはラストシーンで、あなたの妄想したギャオス達とガメラの闘いは暗示されるだけだ。
 予告編の役目が、観客をとにかく映画館へ集めさえすればいい、どこか詐欺師的な役割でもかまわないのなら、「ザ・ソルジャー」の予告編はとてもすばらしいといえるだろう。
 でも「マン・オン・ザ・ムーン」は大甘なラブストーリーではないし、「スターリングラード」で、スナイパーはターニャのために敵を撃つわけではない(むしろ、ターニャのために敵を撃たなくなるという物語だろう)。
 一度だまされたら、次はもう信じない。そんな人達も大勢いるだろう。そんなことには気付かないのか、予告編は今日も人々を誑かす。
 それでも、あなたはまだ映画館へと通い続ける。時にはまた予告編にだまされ、失望を味わっても。いつかどこかで、自分の想像を圧倒する映像に出会いたくて(でも、もし出会ってしまったら)。