『
今日、こないだ一緒にいった図書館のカードを作りました。
なんと素晴らしいことに、市内にある図書館で共通で使える
そうです。京都市内でこんなことはなかったような。
ビデオを2本借りました。「サウンドオブミュージック」
の前編後編です。1日が休みなので、見ようと思っているよ。
すると****くんも見たいな見たいなということで、たぶん
***マチュピチュハウスへやってくるような予感。
今日図書館で読み終えた本は、解説がなかった。中身が
良かったからそれで良かった。これから本を買ったら解説
を切り離そうと思う。中身の作者の繰り広げる世界と自分が
向き合えばいいんであって、誰かしらん人の解説などいらない。
それが自分の好きな作家(最近はいないけど)であっても
いらない。あらすじばかり書いてあるのとか、作者の作品履歴
とかは自分で調べる。
日本は解説者が多すぎるような気がする。ニュース番組では
すぐ解説者を呼ぶし、野球も解説者。オリンピックも元選手の
ありきたりの解説がわんさか聞けることだろう。
解説ばかり聞いていると自分の感じた意見がどこかへ行って
しまうような気がする。テレビの解説者たちに知らずに影響
されて、それが自分の意見になってしまうような。これからの
時代もこれまでも、自分の心で感じるという当たり前のことが
大切なんだー。
ということで切りとった解説ページたちを使って箱人間でも
作ろうかの。段ボールにやたらぺたぺた活字ページを貼って
な〜。それを****さんとのコラボに出そうかなぁと思った。
どうせ使わないなら、偉大なゴミにしてやるのじゃ〜。
』