HANNAH ARENDT
2012年
ドイツ
監督:マーガレット・フォン・トロッタ
脚本:パム・カッツ/マーガレット・フォン・トロッタ
出演:バルバラ・スコヴァ/ジャネット・マクティア/
実在した(1906年〜1975年)哲学者の映画だということで、1.3冊参考書(「今こそアーレントを読み直す」仲正昌樹 2009年5月 講談社、「ハンナ=アーレント」太田哲男 2001年12月 清水書院)を読んで、見た。
いかなる映画でも何らかの前提があるわけだが、このような(最近やたらと目につく)実話、それも一人の人物について描く場合、対象の人物に対する前提知識をどの程度制作者は期待しているのだろう。
何も知らなかったら、所々出てくるハイデガー(彼に関しては説明がないので、ハイデガーが何者か知っていることが要求されている?)との関係がどういうものなのかが分からないけれど、何だかスゴいオバサンがいたんだなぁとは思ったのでは。
少し知ってから見たところでは、何だかもの足りない。
映画は、アメリカ亡命後市民権を得た後からの物語で、それ以前については、ハイデガーとの関係が示唆される程度で、フランスからの脱出についてなどは描かれていない。
過去が描かれていないと、アイヒマン裁判について書いた内容の重みが変わってくると思う。
映画では、ユダヤ人族長がナチスに協力していたことを書いたため反発を受けたのだとあった。
最も重要な悪の陳腐さについては、アーレントの講演という形で語られる。迫力は感じたが、内容として迫ってこなかった。それは予め知っていたからだろうか。
熱意を持って語られるのだけれど、その熱意は、敵を攻撃したいだけなのでは。実際にも、こういった話し方だったのだろうか。単純な迫力描写(声の大きさ・身ぶりの激しさ)ではなく、内容の切迫さを伝える感じる)ことはできないのか。
彼女は生涯悪について考察していた… と少し唐突に終わったように感じた。しかしこれは、常に考えよ ということなのだというのは、好解釈すぎるか。
考えないことが、人類最大の悪を招いたのだ。それは彼(アイヒマン)が特別な悪の権化だったから生じたのではなく、どこにでもいるような、むしろ勤勉な、ただ自分で考えることをしない人間だったからだ。考えることが重要なのだ。
そういうことの確認はできる映画だった。
「今こそアーレントを読み直す」が未読だったら、この映画よりも、そちらをお薦めします。