『
宮崎駿のアニメ「魔女の宅急便」の原作本。1冊目を読んだのは小学生だが、90年代に入って2冊目。去年3冊目が出版された。この小説の主人公は13歳の少女。魔女の母と人間の父を持つ彼女は、魔女になる道を選び、13歳の満月の夜に故郷を離れ、魔女のいない土地を探して一人で生活を始める。これは数少なくなった魔女がまだ生きていることを少しでも多くの人たちに知ってもらう大切な儀式である。魔女の子どもは生まれて間もない時から黒猫の仔猫とともに成長し、会話ができるようになるのだが、この猫が彼女の大切な相棒である。
ちなみに女の子の名前はキキ、黒猫の名前はジジ。お母さんの名はコキリさん。お父さんはオキノさん。居候先のパン屋のおかみさんはおソノさん。キキの友だちはミミさん。キキの気になる男の子はとんぼさん。風変わりな名前の登場人物たち。
1冊目は、海に近い大きな町を選んだキキが、唯一の魔法である飛ぶことを使って魔女の宅急便を始めて何とか自活できるようになるまで。最初は無関心だった町の人々に認めてもらい、素敵な友だちもできて、1年目の里帰りを迎える。
2冊目は、キキが、空を飛ぶ自分について考え始める。そして空を飛ぶ力を使う自分の仕事についても考えるようになる。相棒のジジも自分について考えるようになり、キキとの関係に小さな変化があらわれてくる。心に悩みを抱えつつ、空を飛ぶことで知り合った人たちと関わりながら、キキは一つの決心をする。それは母の持つもう一つの魔法、くしゃみ薬(風邪に効きます)の作り方を教わること。「自分がつくっていても、自分がつくっていない」という母の手紙を読んで、キキはもう一つの魔法を教わりに2年目の里帰りをする。
3冊目。キキは16歳。宅急便の仕事とくしゃみ薬つくりをしながらコリコの街に来て3年目。そこへ魔女を名乗るケケという少女がやってきて、キキの生活にずかずか入り込んでくる。キキを挑発するような行動に、年下とわかっていながら、つい張り合ってしまう。
あつかましいけど憎めないケケが、まわりの人たちと仲良くなったこと、コリコの街で知られるようになったことが、空を飛んで宅急便の仕事をしている魔女という、自分の場所を奪っていくように感じて、苛立ちと不安の混ざった気持ちで生活する日々。ジジとの衝突。そしてとんぼさんへの特別な気持ち。
ケケと張り合うことに疲れ、自分すら見失いそうになった時、キキは夜空へ飛んだ。暗い空へ向かってぐんぐん飛んでいくうちに、心のわだかまりが吹っ飛び、素直な想いに気づく。
「わたしはとんぼさんが好きだ。そしてとんぼさんのいるこの街が好き。」
心の殻を突き破ったキキは、素直な気持ちでケケと向き合えるようになるが、ケケはコリコの街を出ていく。家出少女だったケケも、キキとの出会いの中で、家への帰り道が見えるようになったのだ。ジジも心のなかの自分のしっぽに気づき、キキとの絆を深める。
「魔女の宅急便」の1冊目は、小学校の読書感想文用として読んだ。感想というより粗筋をそのまま写すために、また読んだ。その時は、ただの児童書だと思っていた。10年くらい過ぎてから、本屋に2冊目があったから買ってみた。すると1冊目も読みたくなり、読み直してみたら、ただの児童書ではなくなっていた。本が変わったのではなく、私が変わったようである。感受性豊かな年頃である主人公キキの、出来事に素直に反応する心が、私の心につながっているような気がするのだ。もちろん私の勝手な思いこみだが、3冊目を読んで、ますますその思いこみは激しくなってしまった。
3冊目はキキにライバルが登場する。思い起こせば、私にもライバルがいた。お互いが負けず嫌いだったが、何かを競うというより、ケンカをしてもお互い謝らないというくだらない意地の張り合いを続けていた。私は怒りを自分の中にためてしまうくせに、顔や態度にそれを表してしまう人間で、そんな自分を嫌悪しつつも同時にぷりぷり怒っているという厄介な生
き物だ。
言葉で自分の気持ちを正直に伝えるというのは、難しい。伝えたいのに、どう伝えていいのかわからない。でもどこかに何かを伝えたくて、中身のないパワーだけ発散させてしまう。
キキがライバルのケケに態度で張り合いつつ、言葉で自分の思いを伝えられないのは、自分自身の在処について迷いが生じていたからだろう。なぜこの街にいるのか?魔女である自分がここにいることに意味があるのか?もちろん負けず嫌いな一面もあると思うが、それ以上に自分がこの街にいる理由を探しているからだろう。一つの街に人々となじみながら住民と
して根づく魔女という役割よりも、「私はなぜここにいるのか?」を一人の人間として問い続けていたのだと私は思う。
キキはずっとそれを他人から見られる自分、魔女は特別だから、便利な存在だから、自分が必要とされているのじゃないかと考えていた。ケケと張り合ったのも他人から見られる自分を良く見せたかったから。だって彼女はまだ16歳なのだ。恋に悩み、自分にも悩み、仕事でも悩み、いろいろ大変だ。でも最後に彼女は、空を飛ぶという自分本来の力を使って、自分の
正直な気持ちに気づく。人と比べるのではなく、自分の心が感じる言葉に気づいたのだ。
私の怒りん坊な性格を、人は負けず嫌いと言うが、はたして何に負けたくないんだろうか。人の言葉が中に入って、たいていは薄い膜のようなモノを通して内部へ入り込むが、時どき
膜が勢いよく跳ね返すことがある。その時、膜はトランポリン状態となりぽんぽんと何がやってきても跳ね返すのだ。だから何かに負けたくないというより、体がそう反応するのだ。これは無意識な負けず嫌いなんだろうか?
この本を読んでいると、主人公キキの心の動きを通じて、自分自身に思いがとぶ。3冊目を読んでいるときはドキドキした。ケケというライバルへ張り合う気持ちが理解できたからで
ある。以前の私はテレビを見ていて主人公がつらいことにあう場面になると、見るのが嫌になった。前もってわかっていれば、早送りをしていた。実際に視野に飛び込んでくると、つらい場面がまるで自分の身に起きるような気がしたからだ。本を読んでいるときは、頭で想像する分、リアルさが和らいでまだ読める。でもこの本は、行間も適度にあいている、時どき漢字に読み方が書いてある、文章はしっかりしているが易しい、おまけに主人公の気持ちがよくわかる。だから一度読んだときはケケが憎かった。でも何度も読み直してケケの言うこともわかるなぁと思い、児童書だけど奥が深いなぁと思ったのだ。
キキは3冊目の最後に自分の正直な気持ちへたどり着く。私はジジのいう自分のしっぽというものを最近、ようやく探し当てたような気がする。身近にあるもの、服の切れ端や道で拾った落とし物やどっかで手に入れた紙くずなどを使って、自分でもよくわからないモノを作ることをすると、けっこう熱中するのだ。もしかしたら他に自分のしっぽがあるのかもしれないが、私にはわけのわからんモノつくりが、私の在処の秘密のような気がする。この勢いで惑星の一つくらい作れれば、おもしろいだろうね。
3冊目を出し、そのたびに主人公が成長するということは、きっと4冊目もあるだろう。遠くない将来に本屋に新作が並ぶだろう。私はその日を楽しみに、意味不明なモノづくりをつづけようと思う。
<了>
』